2015年7月12日 (日)

実相顕現への祈り

 総裁先生が7月7日付のブログ『唐松模様』に、「七重塔の意味するもの」と題して“森の中のオフィス”で執り行われた「万教包容の御祭」におけるお言葉を掲載されました。この中で先生は「つまり、七重塔が示しているのは、「時間、空間の制約を超えて、多様なものがすべてそろい、しかも一つの中心に統一されている」ことを表しています。それが、神の創造になる世界の実相であり、私たちはそれを縦・横・厚みの3次元の形に表現したものを目の前にしているのです」と示されています。七重塔の姿を見る私たちは、塔の形を通してその象徴する意味を見つめます。それは、「すべて」「統一」ということです。そこには、神の御心の二つの側面である多様性と秩序ということが現れています。宗教においても、同じことがいえるでしょう。あまたの教えは神の御心というただ一つの真理を説いています。ですが、その秩序が現象界に反映されるまでにはまだ遠い道のりが必要であることを感じます。先生が紹介されているローマ教皇フランシスコの「回勅」が、その道のりに確かな足跡を刻み、神の現れであるすべての生命が尊重される世界が実現することを祈ります。

2015年2月 5日 (木)

楽園創造の落とし穴

 総裁先生のご文章を読むとこれまで自分の思ってもみなかった方向から真理に光が当てられてハッとすることがありますが、ブログ『唐松模様』の記事「原宿“いのちの樹林”が完成」(2015年2月2日付)に説かれた『創世記』の“エデンの楽園”の解釈にも同じ思いがありました。「“エデンの楽園”を造った目的や動機とは何でしょうか? そこにきっと“人間の迷い”が反映しているはずです」──“楽園”の必要性は人間の迷いを示している。すなわち、「はなはだよい世界とは別に、あるいはその一角にわざわざ」“楽園”を創造しなければならないとすることの裏には、「神の創造世界には悪もあるという認識」があるというご指摘です。世界の聖地を巡る争いを考えると、特定の物や土地の“聖別”もあるいは神の御心とは異なることがあるのかも知れません。1月22日付の同ブログ「ていねいに生きること(3)」の末尾近くに「この「自然の恵み」の中には、人間内部の本性も含まれる」とあるのを読んだときにも思いましたが、私たちにとって“自然”とは“実相”そのものであり、“自然を伸ばす”とは人間を含むすべての存在の“実相を現す”ことに他ならないことを感じました。

2014年10月 8日 (水)

神のみと語る時間

 『新版 光明法語【道の巻】』の今日の項目は「神と共に静かに語れ」(pp.255-256)です。短い文章の中にタイトルを含めて4回、「静かに」という言葉が繰り返されます。文字通りの意味もあるでしょうが、祈りの中には通常の日常的な時間とは異なる時間が流れていることを示唆しているようにも思われます。それは、「神より頂いた生命は、神に感謝して、自己の時間の何分の一かは純粋に神と対話する為に捧げなければならぬ」という文章の「純粋に」という言葉とも呼応しています。人間は「神より頂いた生命」のすべてを挙げて神の御心を実現するために生まれてきました。常住坐臥、神と対話しながら生きることができたらどんなに幸せなことでしょう。しかし、日常の多忙な時間の中ではそれが難しいこともあります。せめて「自己の時間の何分の一か」だけでも専思専念、神と共にのみ過ごす時間をもつことを忘れたくないものです。

2014年10月 7日 (火)

自己責任では足りない

 『新版 光明法語【道の巻】』の今日の項目は「病気は心の影」です(p.255)。冒頭に「病気が自他の肉体に現れても、肉体は霊の最高顕現であるから病気に罹ったなどとは思うな」とあります。最初に読んだときにはさらりと読み過ごしてしまったのですが、ここに「自他の肉体」とあることは重要だと思います。続けて、「その病気を「自分の心の影」だと見よ」とあります。自分の病気だけではないのです。他人に病気が現れているのも、やはり「自分の心の影」と見なければならないのです。そして、他人が病気に罹っていると見えたら、やはり「神の霊の完全なる顕現である肉體に、自分の誤れる「心の影」として不完全なる状態をあらわして済みませぬと詫まり切れ」と命じられているのです。病気以外の性格的な欠点や、あらゆる社会的な事象についてもやはり同じことだろうと思います。

2014年9月27日 (土)

美しき神の創造

 深夜です。虫の鳴き声がか細く、しかし途切れることなく続いています。眠れぬままに「神の絶対の御徳を讃える祈り」『日々の祈り』、pp.16-20)を読んでいて感じたのは、神を知ることは神の子を知ることだということです。「私は神の子ですから、あなたの無限の知恵、無限の愛、無限の力を、あなたから分ち受けていることを感じます」──私たちは神の遺伝の継承者であり、神の財産の後継者です。私たちというのは神に創造されたすべてのもの。神は人類の御親であり、大自然の御親であり、大宇宙の御親です。だから、すべての人類と天地万物、森羅万象、生きとし生けるもの、ありとしあらゆるものは兄弟姉妹であり、究極においてはただ一つの生命なのです。ここにいる私の中を、あの虫たちの鳴き声の中を、眠っている妻のからだの中を、目に見えないすべてのものの中を、ただ一つの神の知恵、愛、力が流れてゆきます。何の障碍もなく、自由自在に、すべての存在の中を力強く流れてゆきます。その流れに身をまかせるとき、私たちはすでに大調和の世界にあり、神の創造の御手のはたらきの一つとしてあることを覚えます。静かに休むことなく、永遠に、それは続いていくのです。

«神の愛は完全である